きんとうん

日本と中国の歴史とハル・ノート



 

日清戦争、日露戦争と局所戦で勝ち

賠償金を頂戴する。

その程度に軍部は考えていた。

もう一つ敗因を言えば日本海軍は調子に乗り過ぎていた。

自分たちの暗号は絶対に解くことは出来ない。

 

米国の不思議なところは神ががかった専門家がいる。

日本海軍の暗号は筒抜けであった。

唯一、真珠湾攻撃の際は暗号を発しなかった。

 

 

米国が喧嘩を仕掛けて来た

 

中国大陸覇権争いから日本を脱落させる陰謀だった

蔑視していた支那人にしてやられた。

ハル・ノートと執拗に広告が表示される。

何となくついうっかり『ハル・ノート』

Wikiで調べようと思って読んでしまった。

実に永い文面だ。

11月27日頃からの米国中枢部のやり取りが刻一刻と伝えられて来る。

そこに蒋介石が何とか日米開戦か日ソ開戦を仕掛けて来る。

日本政府も日米開戦は避けたい。

その交渉が詳細に書かれている。

暗号化された無線の解読合戦。

それぞれの国でも開戦は避けたい。

外交と外交の理解し合いながらの交渉だ。

 

ハルも日本の国情を踏まえ妥協案が出される。

しかし、何時か必ず奇襲して来るに決まっている。

先に奇襲攻撃をさせ日本からの攻撃に対して米国が開戦したと言うことにする。

そうさせる為の最後通牒を突きつけろ。

 

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山本五十六

政治と戦争はどうやら彼にとっては別物のようだ。

彼は軍人だ。

いつもその時の情勢を見て戦略を考えている。

 

既に数年前から真珠湾攻撃はあった。

戦闘機より投下する魚雷は水深60メートル必要であった。

それを低空飛行から投入し水深10メートルで目標物に命中させる訓練をしていた。

 

ハワイオワフ島は米国太平洋艦隊の最も強固な要塞であり艦船の基地である。

守備も最も強固にされていた。

ここで米国太平洋艦隊を殲滅すれば一年以上は日本本土への攻撃は出来ない。

 

まさかここを攻撃するとは思わない。

但し、これは軍人として何時如何なる時も対応出来る日々の研究である。

彼は軍縮会議に出席もしていた。

 

私は当時の海軍兵学校に入学した。

それは戦後のことで海軍の学校であった為その力を削がれていた。

近くに笹川良一の海洋会館があった。

 

日本海軍には思い入れがある。

笹川良一は山本の部下だった。

 

勝てば官軍、負ければ賊軍

但し、日本は敗戦して良かったと思っている。

亡くなった方々のご冥福を祈りながらも

その後の平和は保たれた。

 

山本が死して尚悔やまれるのはルールを守れなかったことだ。

攻撃の30分前には宣戦布告しなければならない。

12月8日当日、米国は日曜日であった。

 

いろいろ検索しましたが宣戦布告状は我が母校の先輩がハルに手渡しした。

ただ、日曜日であったことでハルが出て来るまでに時間を要した。

そう、学校では聞き及んでいる。

 

戦艦は九州からと北海道から出発していた。

すべて当日の作戦実行まで無線は発信しない。

すべて事前に計画された通りに進められた。

 

宣戦布告状が遅れるわけはない。

11月下旬の段階でルーズベルトから日本軍の奇襲攻撃に注意するように指示が出ていた。

喧嘩にどちらが良いも何もない。

 

事実は違って主張される。

 

 

当時台湾は日本であった

 

台湾は日本の統治下にあった。

以前は複数の部族に分かれ

統一した言語がなかった。

 

そこに日本語教育を行った。

蒋介石が台湾に来て漢民族が住み着いた。

半分は中国ではなく日本のままが良かったと思っている。

東北大震災時、最も速やかに最も多額の義援金を送って下さったのは台湾である。

戦時中、B29の空襲を経験している。

 

戦後の経済成長に同じ思いを感じた人達がどれ程いるだろうか。

私たちは切っても切れないそんな距離に棲み、日々を暮らしている。

台湾の水田は日本で見る風景と同じである。

 

飛行機が香港に着陸する際の光景は異質だ。

国としてそれぞれの人がどういう立場であったか組織としての立場はどうであったか。

アジアと言う視点で思うことと地球という視点で思うこともし勝手を言うことを許されるとしたら

 

アース ファースト!

 

改めて過去に勉強して来た歴史と違う風景が語られているではないか。

金持ちに成った中国人が学校で教わった日本に来てその違いに認識を改めるようにこれからお互いに分かり合えば良いわけでイムジン河の軍事境界線が対馬にならないように理解し合う努力を続けて欲しい。

 

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