日本史

坂本龍馬とブーツ、幕府後維新後の道筋を切り開いた

投稿日:2018年12月11日 更新日:



龍馬なくして今日の日本はない。

その若き資質は如何に生じたのか。

遙か明智光秀から戦後経済発展まで

 

一本の糸で紡いでいる。

剣を持たせれば日本一の腕前

その死の間際には慶喜にまで

その名を知らしめた。

 

坂本龍馬とそのブーツ、桔梗の紋と鯨海酔候容堂

 

特に織田信長を語らない。

しかし明智の家紋が何を感じさせていたのか。

土佐は長宗我部の領土でありながら

 

関ヶ原で西軍についたため、改易

一領具足の長曾我部、山内を上士

龍馬は郷士であった。

 

龍馬は剣を持たせれば天下一、ただ剣で一番になっても何の徳もない

その剣戟は真剣を破壊する程に激しい。

桂小五郎とはじめて出会って

桂の剣を粉砕した。

 

龍馬の剣と正面から剣で挑めば

白刃が粉砕される。

龍馬と真剣に戦えるものはいなかった。

 

剣が強いだけではつまらなかった。

試合や戦いに勝てば恨みをかう。

それが勝つ喜びよりもさみしかった。

 

戦って勝つことの儚さを龍馬は知っていた。

出来る限り戦うことを避けていた。

土佐に帰って剣術道場も興味もない。

 

勝海舟の弟子になって龍馬はその思想や信念を理解されたことで日本丸の舵を大きく切った

雪崩を打つように徳川幕府の治世が瓦解していった。

桜田門で井伊直弼が切られたとき

土佐の郷士は不可能が可能になることを知って驚喜した。

 

あり得ないことが起こったわけである。

16万の兵を率いて長州征討に向かっても

幕府には長州を打つことは出来なかった。

 

薩摩と長州を同盟国にしたのは龍馬であり

龍馬とは気が合わなかった中岡慎太郎である。

郷士が上士を動かし容堂を慶喜の説得に向かわせた。

 

だが慶喜は容堂に言われるより先に決断していた。

徳川には日本を統治する能力が既にないことを

そして龍馬の案を無条件で受け入れた。

 

五箇条の御誓文、大政奉還である。

その策を進めながらポスト徳川後を見据えて

人材の説得にも当たっていた。

 

それは龍馬が蒸気船を乗り回し世界を相手に商売をしたい為の仕業である。

龍馬が中岡とともに切られるときに

慶喜は龍馬を誤って切ることのないよう指示を出していた。

 

それが京都守護職の侍が中岡と坂本を暗殺した。

二人とも恐れられるほどに強かった。

しかし、その気持ちにスキを見せてしまった。

 

桂小五郎ほどの臆病さが欲しかった。

人間、生きていてなんぼの人生だ。

こと既に成し得た途端に切られてどうするんだ。

 

暗殺されてしまって長い期間、日本史からその存在が消えてしまった

大東亜戦争という不幸な戦争を経験いたしました。

しかし、今日の日本を形づくった考えは

低い身分の若者が導いた。

 

多くの人々に愛され、また憎まれもした。

確かに多くの幕末志士がいた。

そして幕府方にも有能な人材がたくさんいた。

 

徳川慶喜も決して敵では無く

新しい時代の流れに従った。

その新しい時代の流れを数多の人材に知らせ

 

そして要所要所に配置し、もう少し組み立てれば終わり

龍馬は次の仕事にこころは移っていたんだ。

その生き様を、その思いを私たちも今一度

 

立ち止まって見つめてみようではありませんか。

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