日本史

吉田松陰:夢を行動すれば成功あり

投稿日:2018年3月4日 更新日:



単なるテロリストなのか?

11歳の時、藩主・毛利慶親への御前講義の出来栄えが見事でありその才能を認められた。

13歳、長州軍を率い西洋艦隊撃滅演習を実施。

15歳で山田亦介より長沼流兵学の講義を受け、山鹿流、長沼流の江戸時代における兵学の双璧を収めた。

 

古来より武士の勉学は兵法学だ。

つまり戦いに勝利するための学問である。

テロリストと軍人は同格なのか?

 

その30年は鋼のような意志を持ちながら優しさに満ち溢れた生き様だった。

少なくとも現代に悪口を叩かれるほどにその名を残せた。

謂わば成功者である。

 

 

松下村塾

 

江戸時代末に、長州萩城下の松本村に存在した私塾です。吉田松陰が指導した塾生から、幕末より明治期の日本を主導した人材を多く輩出した。

 

イギリス、フランス、アメリカ、オランダの世界進出

 

鎖国を徹底して来た江戸幕府が関東で安穏としている中、外様大名領地の西国では世界の一大変革が忍び寄っていた。

その片鱗や様子が伝わって来る西国には危機感があった。

キリスト教をシャットアウトしてから長崎の出島のみ僅かな貿易を行うだけであった。

 

徳川幕府にもその事について十二分に認識していた者もいたが弱体化した幕府に明確な指針がない。

土佐ではジョン・万次郎よりアメリカの様子が伝えられたり、清が欧米列強の植民地になりつつある実情や太平天国の乱を高杉晋作が幕府使節随行員として上海へ渡航し見聞して来た。

 

坂本龍馬も長崎からの珍品として地球儀やいろいろな宝物を見せられて来た。

日本刀や鉄砲で戦っても喧嘩にならないことは一目瞭然である。

維新回天劇で急速な近代化を進めなければ日本も植民地になっていたかもしれない。

 

アジアでは辛うじてタイランドが植民地化を免れた。

アメリカは捕鯨の寄港地として食糧や燃料の補給のために通商条約を迫って来た。

自国と比較して遙かに進んだ文明を持つ外敵にどのように対応するか。

 

勇気を持って対峙した者達をテロリストと言うことに激しい違和感を憶える。

兵学を教える松陰をテロリスト教育の大家と言う所見には著しい錯誤を思うのは私だけであろうか。

ネット検索で幕末維新の著名人で検索順位を記せば1、に坂本龍馬、2,に吉田松陰だと言う。3、は不明である。

 

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維新回天の大業を成し遂げる役割

 

まず始めに”佐久間象山””吉田松陰”がどうあるべきかを説いて行った。

その兵法学や陽明学に裏付けられた論客が必要だ。つまり精神的指導者・理論者・倒幕論者である。

 

そして夢を実行する者達が働き始める。

 

高杉晋作、久坂玄瑞、武市瑞山、前原一誠、木戸孝允、飯田俊徳、渡辺蒿蔵、松浦松洞、増野徳民、有吉熊次郎、時山直八、駒井政五郎、中村精男、玉木彦助、飯田正伯、杉山松助、久保清太郎、生田良佐、境二郎、宍戸璣、乃木希典、富永有隣、中岡慎太郎、

 

最後の仕上げをした者達

 

井上馨、伊藤博文、山縣有朋、品川弥二郎、山田顕義、野村靖、松本鼎、岡部富太郎、正木退蔵、後藤象二郎、大久保利通、板垣退助、江藤新平

明治になっても戦禍は続いた。

松陰の説いた『幽囚録』は北武海道の開拓、琉球(現在の沖縄。当時は半独立国であった)の日本領化、李氏朝鮮の日本への属国化、満洲・台湾・フィリピンの領有を説いた。

明治政府の要人についた松陰の門下生に影響し、その後、日本アジア進出対外政策は具現化されていった。

 

普通の人が話をしたら温厚な良い人だったようだ

 

松陰は一方的に兵法学や陽明学を生徒に教えるだけでなく、松陰が生徒と一緒に意見を交わしたり、文学だけでなく登山や水泳なども行なうという「生きた学問」だったと言われる。

また、投獄された野山獄には、11人の囚人がいた。その中でも松蔭は最も若かった。

しかし次第にそれぞれの得意とすることに付き合ったりしながら皆の気持ちを安らかにする役割を果たした。

 

そしてその獄から出されてから長州藩の有力者に願い出てその多くを出獄させたと言われております。

一人一人の長所を伸ばし、そして触れ合った者達を安らかにし、強いては救済する人物をテロリストとは思えません。

その根底にあったのは弱きを助け強きを挫くと言う精神ではないでしょうか。

 

また武士として馬鹿がつくほど嘘をつかない真っ直ぐな気持ちを藩主や多くの者達に理解されていれば斬首されることもなく生き残り、明治政府の対外政策も方向性が大きく変わったのではないでしょうか。

しかしながら多くの弟子が亡くなったことに関しての責任を取り切腹したであろうと私はそう思います。

 

台湾を統治した後藤新平の如き人材が各所に配置され植民地や属国化ではなく誠心誠意その土地にとって大切なインフラの建設や教育を行い北東アジアで感謝をされる大国日本を育てたのではないでしょうか。

台湾は東北大震災の時に莫大な支援金を送って下さった。

日本に対しての心からの感謝の気持ちが彼の地にはあります。

 

おのれに厳しく弱者のために尽くす。

それが松陰の精神であったと思われます。

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