歴史

吉田松陰は何をした人:維新回天の実行者を教育した



 

日本人であればその名前を知らない人はいない。

しかし、実際に何を行い、何故、その名が今日に到っても幕末著名人の中で検索第二位をキープし続けるのか。

複雑怪奇な維新史にその名が深く刻まれているのだろう。

それは維新回天の論理を分かり易く説いて多くの弟子達を育てたことにあります。

尊皇攘夷を最も急進的に説きながらも自ら黒船に乗ろうとした死生を越えた行動力に弟子達は感化されたのです。

松陰の感化力は世界史上でも類例がなく不生出の教育者であったからであります。

 

 

松下村塾門下生とその教育その思想

 

どんな人なんだろう

 

厳格な教育者であったわけでは無く、自ら弟子達と共に行動し、

共に学ぶ姿勢や弟子と同じ視線で論じ合ったりする。

『学者になってはいかぬ、人は実行が大切である。』その教えは陽明学に始まる。

 

陽明学を語ると永くなる。

簡単に説明すれば、中国明代の儒教の一派であり、孟子の性善説の系譜に連なる。

もっと簡単に言えば『人欲の肯定』である。この一言を語るために万巻の書を読まねばならない。

 

それを分かり易く説き四字熟語等で分かり易く伝えたところが凄い。

例えば

 

一君万民論

国家は天皇が支配するものという意味であり、天皇の下に万民は平等になる。

 

擬似平等主義であり、幕府・藩の権威を否定する思想である。

但し、天下は万民の天下なり、という国家は国民の共有である。

 

飛耳長目

多くの情報を収集し、先の判断材料にしなさい。自ら東北~九州まで歩き情報を収集した。

萩の野山獄に入獄後は塾生たちに収集させた。

長州藩にも各藩へ情報収集者に行かせることを提案した。

江戸、長崎に遊学中の者に特別な賞を支給することも主張した。

松陰の時代に対する優れた予見は、「飛耳長目」に負う所が大きい。

 

草莽崛起

 

草木の間に潜む隠れ人を指し、これは一般大衆を言う。そして一斉に立ち上がることを指す。

 

かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ大和魂

 

密航をしようとすれば、捕まって殺されるだろう。しかし例え死が待ち受けていようと日本を思う気持ちで密航を意図したのだ。

 

至誠にして動かざるものは、未だこれあらざるなり

 

可能な限りの誠意をもって接すればそれで心を動かされない人はいない。人を動かそうと思ったら誠心誠意、精一杯の気持ちで接すること

 

親思う 心にまさる親心 今日のおとづれ 何と聞くらん

 

自身の親をどんなに大切に思ってみても、親が子を思う気持ちは遙かに巨大なものです。自分が死ねば、親はどれ程悲しむだろう。

常識を越えた愛情を持って物事を考え、そして誰もが思う心の内を述べている。そして世渡りの術も教えている。

この辺が多くの門下生に愛された由縁ではないでしょうか。

 

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その塾生 (松門)

 

久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文、山縣有朋、吉田稔麿、入江九一、前原一誠、品川弥二郎、山田顕義、野村靖、渡辺蒿蔵、河北義次郎

倒幕のため命を省みず戦ったもの、絶体絶命の長州を大逆転で持ちこたえさせた高杉晋作、維新回転後の明治政府を運営し松蔭の教えを実行していったもの達です。

高杉が言うには明倫館で勉強するより松下村塾で過ごす時間が面白い。

 

実際、関門海峡を悠々と通り過ぎる米英仏艦船を
指をくわえて見ていたりしている訳で、そんな状況の中、

為す術もなく安穏としている幕府や藩は、
実際、無用のくだらん権力に思えたのでありましょう。

 

その眠れる生きる屍を葬り去るには行動を起こし目を覚まさせるかそのまま葬り去るか。

それ以上の方法はなかったのだと思います。

松陰をテロリストの養成者と言うはイスラム過激主義者の自爆行為を

特攻隊員と同等に考える輩に等しい。

ましてや松陰はウサーマ・ビン・ラーディンのように逃げ回ったりしていない。

吉田松陰の本は20世紀初頭、中国で出版され多くの思想家・運動家に読まれた。

 

アヘン戦争後の中国で松蔭の書は読まれたのだ

 

徳川末期から近代にかけて日本では陽明学が重要な思想として松陰の書を含め熱心に読まれた。

忘れられていた陽明学が日清戦争以後、明治日本に清末の知識人が注目し急激に注目されるようになった。

明治期、中国からの留学生が増加していく中で新しい中国の国造りのために陽明学が逆輸入されるようになった。

 

その後に吉田松陰を研究するもの等が現れ松蔭本が出版され賞賛された。

維新回天の奇跡とその後の明治政府の発展を驚きの目で見られるに到った。

今から見れば狂気の沙汰に見えるかもしれない。

 

しかし事実を知る者にはそこまでやらなければ動かない事に腹立たしくもあり、我が身を省みず行動を示していった。

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