営業苦行

営業は心の動きを上手に掴め

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訪問をしなければ成果は得られない。

ただ行っても成果は得られない。

どこに原因があるんだ。

何がたりないんだ。

他社の営業マンが1日1度来ているならば?

1日5回行たらどうか。

しつこいなーっと嫌な顔をされるだろうか。

あなただったらどうしてくれたら声を掛けてみようと思う。

それを考えなくては成果は得られませんね。

 

 

落ちない、それでも行かなければ売り上げは出来ない

 

例え誰にも好かれなくても最後に惚れられれば勝ち

 

1年先に入社した先輩であった。何となく嫌われ者の風体(ふうてい)をしている。

特に違う営業所に配属されたのであまり性格などは知らない。

まだ、新潟県は長岡、新潟の二つだけの営業所だった。

 

長岡から上越に通うにはちょっと距離があった。

まだ会社としてもほとんど実績が無かった時代だ。

その先輩はアパートを会社で借りて上越の駐在員にさせられた。

 

全く売り上げなど出来ない。

流し台などの販売は建材店が家を新築する際に工務店が購入する場合

また工務店が設備店に丸投げしてしまう場合

建築業者は関係せず近隣の家具店から施主が購入する場合

 

地区ごとに特色もあった。

メーカーで言えば設備ルートに強いサンウェーブ

木質建材ルートに強いタカラスタンダード

家具金物ルートに強いクリナップ

 

と言う具合にメインルートが違う。

 

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新潟県は独特な商習慣がある

 

東京に就職して暮らす方々は新潟県の方が最も多い。

これは私が赴任して地元の方に教えられたことであり自分でも経験したことです。

兎に角、営業マンのクオリティーは一切関係ない。

 

1年6ヶ月黙々と通わないと話もしてくれないし仕入れてもくれない。

しかし、この通説をぶち壊してやりたかった。

配属され直ぐに引き継ぎの作業が始まるがどちらかと言えばライバルメーカーの牙城ばかりを担当させられる。

 

11月28日に移動の紙切れを貰い、29日朝、松本から新潟に向かった。

30日が売り上げの締めだ。

新潟営業所の雰囲気は2ヶ月分ほど売り上げが遅れていたから最悪だ。

 

関係ないと言えば関係ない。

しかし既に新潟営業所員である。

引き継ぎの作業は初めから強烈な印象を与えることを考えていた。

 

畏まった礼儀作法など通用しない。

五泉市では金津屋、ここでは専務に挨拶かたがた

相手の顔を指さし「あなたの会社の倉庫を真っ赤に染めます。」と啖呵を切った。

 

当社の製品の箱は赤い。

こんな調子で1軒1軒ポカーンと相手の方は口を開けていた。

こちらにもプライドがある。定説なんてぶち壊してやる。

 

上越の鈴木先輩はもうじき4年目になる

 

彼は伝説を既に作っていた。

M建材店が水回り機器の販売では上越を牛耳っていた。

建材店であるので当然、タカラスタンダードを売っている。

 

半年が過ぎ、1年が過ぎる。全く相手にされない。

これは本当に辛いことである。もし自分だったら精神が持ったかどうか。

2年が過ぎる。そして3年が過ぎていった。

 

長岡の営業会議で所長からボロクソに言われたらしい。

辞める辞めないの話にまで成っていたらしい。

小雨降る中、上越に戻り、身も心もビショ濡れになっていた。

 

夜になり7時を過ぎた頃、その建材店に彼は訪れた。

「何、鈴木君」名前を呼ばれいきなり土間に土下座した。

「奥さん、今日はどうしても洗面化粧台を30セット、ステンレス浴槽を30本、買って下さい。」

 

濡れそぼったスーツで大の男が涙を流し泥の付いた床に頭を擦りつけお願いしている。

昔であれば首を切って構いません。そのかわり私のお願いを実現してくれと言う意味だ。

「鈴木君、今日は今からご飯を食べて行きな。」

 

沈黙が続く。とんかつを頂きながら食事を頂いた。

「ついでにお風呂も入って行き」

お風呂に入っていると誰かが帰って来た様子だ。

 

ひそひそ声が聞こえる。

どうやら社長が帰宅の様子だ。

「どうにでもなれ!」と思い風呂から上がり着衣を付けた。

 

「鈴木君か、判ったよ。いいよ持って来て、そして明日の朝、8時半に会社にお出で。」

嬉しかった。たいした売り上げにはならないが在庫を取って貰えることは勲章だ。

奥さんから「鈴木君、明日は7時半にお出で、朝ご飯用意して置くから。」

 

涙が溢れて止まらなかった。3年通って初めての出来事だ。

アパートに戻りそれでも涙が止まらなかった。

 

そして翌日、7時半にお伺いすると暖かいお味噌汁とご飯が用意されていた。

食事が終わり、社長から8時25分には事務所に来るように言われる。

そしてその時間に事務所に行く。

 

30人ほどの営業マンがいた。

社長から朝礼を始めることが告げられる。

 

「皆さんお早う御座います。今日はちょっとみんなに話があります。

 

  皆さんも知っていると思いますがこちらの鈴木君とこれから毎日しばらく同行販売を行って下さい。

      今日から我が社は鈴木君の商品をメインに販売して行きます。」

 

全身から力が抜けた。

3年間、売り上げ0だった。

その日を限りに自分の話を聞いてくれその話の通りにして頂いた。

 

それから27年以上が過ぎました。

現在では上越ショールーム、上越営業所があります。

たった一人の嫌われ者の風体をした男が大きなマーケットを手中にしたのです。

 

これが営業の醍醐味です。

その後の彼の動向は聞き及んでいません。

 

きっと沖縄か根室あたりに飛ばされているに決まっています。

それが営業マンの誇りなのです。

 

最後までお読み下さり有り難う御座います。

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