歴史

坂本龍馬を暗殺したのは京都見廻組か?

投稿日:2018年3月17日 更新日:



結局のところ誰がどんな理由で暗殺したかは確定していない。

150年も経ったのだから答えが出ても意味がないと言えばそうかもしれない。

大筋で佐々木只三郎が最も有力なようだ。

しかし、それもよくよく考えてみればおかしい。

龍馬も油断していたと言えばそうだが狙われていることは意識していたはずだ。

 

 

今更考えてもしょうがないが興味深い

 

人に悪口を叩かれるようになると一人前

 

たくさんの人々に恨まれていた訳でそう言う意味で坂本龍馬は超一流人である。

龍馬が暗殺された場所の周囲は憎々しげに思う輩が徘徊していたはずだ。

京都見廻り組が龍馬と知って襲ったとしたら銃を持ってくるはずだ。

 

池田屋事件で2人がピストルで撃ち殺されている。

龍馬がピストルを持っている可能性は高い。

また剣術に長けていることも知っている。

 

誰かは解らず悪しき人物がいるとの判断だけで襲ったとすれば理解出来る。

龍馬は人斬り以蔵から闇夜に背後から切られかかられてもかわした人物だ。

まして狭い室内で長刀を振り下ろすのは難しい。

 

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中岡慎太郎

中岡慎太郎も剣術には長けていた。

龍馬に勝るとも劣らない腕前だ。

そして実は中岡慎太郎を暗殺する際に龍馬が巻き込まれたとの説もある。

 

これから日本国をまとめていく最中(さなか)のことである。

必要不可欠な人材を亡くしている。

中岡の諸藩連合策が大政奉還に強く貢献していた。

 

新選組を主役にしたドラマや物語も多い。

しかし、この近江屋事件後、新選組は徹底的に追求されている。

そして組長の近藤勇は土佐藩士からの強い要望で斬首されている。

 

箱館戦争後

徳川幕府は大政奉還後、駿河、近江70万石に減封となった。

これにより約8万人の幕臣を養うことが困難となり、多くの幕臣を路頭に迷うことを憂いた榎本武揚は蝦夷地に旧幕臣を移住させた。

薩摩、長州、土佐藩主体の新政権は幕府軍を殲滅すべく江戸城無血開城後」、北陸、東北、函館へ進軍して行く。

 

その箱館戦争で降伏した元見廻り組、今井信郎が、取り調べの最中に、与頭、佐々木只三郎とその配下6人が坂本・中岡を殺害したと供述した。

実行犯は見廻組肝煎桂早之介であり、自分の脇差しで坂本を切ったと語った。

やはり長刀では室内戦は無理がある。

 

ピストルについては無知であったかもしれない。

 

 

犯人と思しきもの達は薩長土新政府軍によって処刑されている。

 

薩長土連合にとって多くの有能な藩士を抹殺された恨みは情け容赦のないものであった。

しかし、徳川家の子孫は今も一般人としてお家を守り続けております。

江戸城無血開城は達成したものの流してはいけない多くの有能な志が湖が出来るほどに流されたのです。

 

最後に

現在、世界大戦の戦勝国アメリカでは銃の所持が許されています。

その結果、現在も惨たらしい殺傷事件が絶えません。

我が国は明治より刀を持ち歩くことは禁じられています。

 

そして銃を持ち歩くことも原則として禁止されてきました。

猟師など一部の人々を除き、明治以降は完全禁止されています。

 

『龍馬がゆく』を読んでいていきなり暗殺されて終わるところが寂しかった。

これからが楽しそうなところで終わった。

もし、龍馬や慎太郎の暗殺がなければ戊辰戦争さえ起きなかったし、幕臣の生きる糧を考え生み出したことでしょう。

暗殺という姑息な仕業で自らの未来をも抹殺したのです。

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