日本史

坂本龍馬を愛したその妻たち

投稿日:2018年3月1日 更新日:

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欧米の風習として新婚旅行なるものを”おりょう”と具現化した龍馬である。

その先取の姿勢が今尚多くのファンを持つ由縁です。

また”キス”と言う概念を実際に”おりょう”に行った竜馬であります。

しかし、本心では誰を本当に愛していたのでしょう。

 

 

あらゆる事を勘定に入れず龍馬を思った女たち

 

150年前の結婚観、妻帯する意味

 

龍馬は19歳で江戸へ留学する。そして31歳で天命を終えた。たった12年間で何が出来るだろう。
その間の移動距離だけでも計り知れないほど土佐、江戸、大坂、長崎、京都などを渡り歩いた。

女性にすれば何時も側にいて身の廻りの世話をすることで恋愛が成就する。(現代は別として)
龍馬にとって母代わりであり、何時も一緒に遊んだ姉、乙女(おと?おとめ?)が
人生で初めての大切な女性であった。強いて言えば一番長い時間を共有した。

江戸や長崎などを渡り歩けど手紙は欠かさず出していた。恐らく龍馬自身には妻帯する概念はなかったように思われる。
そして思慕するは土佐藩家老福岡家のお田鶴様である。実在について疑義があるが龍馬は惚れていた。(これはかなわぬ思いだ。)
しかし、福岡家預かりの豪士の末弟如きが惚れた腫れたの存在ではない。しかし何もなかったかと言えば疑わしき事はあった。

本来、明治以前に婚姻届を出す法はなかった。それ故、何をもって妻なのか、許嫁なのか、規定する事は困難を極める。

こんな話は色気も何もないのでつまらない。

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千葉さな子が最もふさわしい人だと思う

龍馬は19歳で千葉道場門下生になった。青春真っ盛りを少し過ぎたくらいだろうか。
彼の目には”さな子”は眩しく写っていたと思われる。女性でありながら剣術に長けている。
その中でさな子の目を気にしながら剣術を磨き上げて行く。

その腕はプロが見れば見るほど明確に感じる事が出来る。

150年前の写真を見ているだけで口説きたくなるいい女である。
南国土佐から出て来た19歳の若者が心悩ましく思わない方がおかしいだろう。

司馬さんの小説でもそのさな子の思いや龍馬の思いを綴っている。
ただ、残念なのが師匠の娘さんである。弟子が相思相愛で済む事ではない。
さな子からその思いを詰め寄った事があって煮え切らない返事をしたものだから

一人の女性の人生を変えてしまった。さな子は許嫁と思い続け独身を貫いた。
江戸で暮らしていたさな子だから龍馬の晩年はお目にかかる時間はほとんど無かったと思われる。

”英雄色を好む”とはよく言われますが龍馬の場合、女性の扱いは下手くそだったようだ。
剣術一筋で尊皇や佐幕と言われてもよく解らない。黒船には戦って切り捨てるほどの認識だった。

古い写真である。10年前の女性を撮影した写真よりその美しさが古めかしく感じない。
龍馬の本命はやはり”さな子”だったんだと思います。ただ、妻帯するには脱藩浪人で
住所不定な自分では申し訳ない気持ちとまだまだ自由に世間を歩き回りたかった。

それが龍馬の本音だと思う。彼女の思いが深ければ深いほど龍馬の胸は強く締め付けられた。

おりょおう

おりょうはたまたま通りすがりで男衆と白刃でやり合っていたところを龍馬が助けた。
そして行く場所もない事を聞き定宿の伏見寺田屋のお登勢にその身を預けた。
場所が場所だけに立ち寄る機会が多い。また身寄りがない事もあって連れ添った。

詳細については司馬さんの本を読んで頂きたい。

まだまだ身分の違いや好き嫌いで夫婦になれる時代ではなかった。
戸籍法も1971年(明治4年)に必要があって作られた。
そこで婚姻届が必要になって来た。そんな時代のちょっと前の恋愛だ。

確かに日本で初めてのキッスをしたのも龍馬が寺田屋によって久しぶりにおりょうに
会った際にアメリカじゃみんなこうするんだ。「それにしても納豆臭い!」
おりょうは朝食を食べたばかりだった。

つまり龍馬自体が色恋沙汰には不似合いな男なのだ。

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