歴史

高杉晋作と奇兵隊が下関で快進撃を始める



歴史はヒーローを必要とする。

そしてその舞台も用意している。

龍馬が西郷と長州をつなぐ。

絶体絶命のピンチを切り抜ける晋作が忽然と現れる。

歴史が大きく動く時、それは多くの人心が動くことだ。

 

 

第二次長州征伐

 

薩摩と長州の密約、薩長同盟

 

長州藩は第一次長州征伐で一戦も交えずに敗戦した。

勝海舟と西郷隆盛の面会から始まり、長州藩が白旗をあげることで終わった。

しかし、長州は幕府の制裁を拒否し続けた。石高をはぎ取ろうとする幕府の命令に従わない。

そんなやり取りの裏で晋作、竜馬、西郷、大久保等が西国四藩での討幕協定が生まれ始めていた。

 

第一次長州征伐で最も狙われたのは晋作である。

長州藩の尊皇攘夷運動の最右翼だからだ。

負けとなった時点で福岡に逃亡する。

 

しかし、長州藩が幕府の諸条件を受け入れ、徹底恭順姿勢を貫こうとしていたことを知り、その主張を先導する俗論派打倒を決意する。

我こそはこの高杉と共にあれと日とを集う。

伊藤博文が率いる力士対80人を味方に、また奇兵隊総督山形有朋を味方に引き入れ、功山寺挙兵を実行しクーデターを成功させる。

 

薩摩も長州も欧米列強と一線を交え、軍事力の違いを深く認識していた。

薩摩も長州も最新式の武器を英国などから買いあさった。

幕府が使っているゲーベル銃に比べより長距離の敵を殺傷できるミニエー銃を大量に購入した。

 

高杉は一気に長州藩論を今一度倒幕に傾ける。

人々の心の移り変わり、特に勝海舟に西郷隆盛が会ったことで薩摩藩は長州藩と共に倒幕に動き出す。

自ら攘夷を行い英国・仏国・米国・和蘭と戦っても勝てないことを身を以て知っているのは薩摩藩と長州藩である。

第二次長州征伐に薩摩藩は加わらなかった。

 

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四境戦争においての戦い方の違い

 

幕府は長州藩を攻め滅ぼす為、芸州(広島)・石州(山陰)・小倉(九州)・大島(瀬戸)から兵を送り込んだ。

幕府軍約16万、対する長州藩軍勢は3000である。

人数だけで言えば長州は勝てるわけなどない。

 

その戦いに勝てた要因は兵士達の兵服や戦術、武器の違い、戦闘員に農民、漁民、商人等一般人が加わっている。

対する幕府軍は甲冑や甲で身を固め重装備で動けない。

長州は四方から責められるも身軽な服装と性能の良い武器をしようして幕府軍を逆に責め立てる。

 

幕府の戦艦に対してもユニオン号を使用し、漁民の知恵を利用した。

暗礁を知り尽くした漁民がすばしっこく幕府の巨艦を砲撃して行く。

実際、晋作自身も勝算はなかった。

一人大の字になり考えた。

 

そして考えがまとまり勝負に出たわけだ。

八月十八日の政変により朝廷を追われた三条実美ら七卿の寝所に馬で駆けつけ

三条実美に向かい「三条卿、これより日本男子の肝っ玉、お見せかけます。」

と言い直ぐに踵を返し馬上の人となり戦場に向かっていく。

 

※この台詞を言う為に生まれて来たんじゃ無いかと思われますよ。

 

 

徒手空拳で腹をくくり、我について来るものあれば付いてこい。

とばかりに激戦地に向かって行く。

腹をくくった男に人はついてくるものさ。

 

快進撃しながら家茂の病死が幸いし長州は第二次長州征伐軍を追い返す

 

この戦の撤退で幕府の権威は地に落ちた。

すべてが晋作に味方した。夜も朝も、そして龍馬も西郷も

勝てない戦を勝利に導いた総大将である。

 

高杉晋作も坂本龍馬の如く、天によって送り込まれ、その使命を果たして天に帰って行く。

 

長州藩が倒幕の起爆剤となり、一気に大政奉還へ向かって行く。

 

 

 

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