龍馬がフリーメイソンである訳がない。
坂本龍馬の名が出てこない幕末は血みどろの殺戮劇が演じられたであろう。
仲違いする者達の力を結集させ、なおそれ以上に戦う事を避ける事に心を傾けた。
たいした意味もなく殺し合う時代を終わらせたかったんだ。
龍馬の存在無しでは維新は十年以上遅れたであろう。
坂本龍馬の名が教科書から消えるのか
反対意見も続出
気にせんでよか!そげんこつ好きにしちょっ!そんなことはどうでもよことなのだ。
そう言うに決まっている。
気持ちは小さな事でも諍いは嫌いである。
自分の事で言い争い事になることが気に入らない。
おのれの人気など、どうでも良いことだ。
ほんに司馬さんよ、だからやめとけっちゅーたぜよ。
気持ちはその先の先にある。
150年も前の話など「おぼえちょらんきに」と言う男である。
どんな者も刺々しいそんな時代に生まれその時代が終息し始めてさっさと違う世界に行ってしまった。
剣を持たせれば北辰一刀流免許皆伝、日本一の剣術使いと言われても師匠の長男、千葉重太郎には負ける。
勝ったところで良いことはない。
不器用な男に見えてそんな気配りをぼけーっとしながら自然にする。
150年後の先生方のご意見など何の徳にもならない。
そんな男の器量が解らないのが先生と申す方々。
そんな暢気な風体でありながら時勢の勘所をお見通しにしているのだ。
龍馬にしてみれば武市半平太が切腹させられた事のほうがよほど心が痛む。
藩主山内容堂が切腹させた。半平太は龍馬の親戚筋で千葉道場で励んだ兄のような存在。
半兵衛太は幼少の頃から剣術、勉学に秀でていた。龍馬はいい歳になっても寝小便が止まらない。
しかしながら剣術を習い始め19歳で神田お玉が池千葉道場でその腕をめきめきと伸ばしていった。
土佐では生まれながらの秀才を武市半平太のようだと喜び、小さい時に勉学などが駄目な者を坂本龍馬のようになると言い駄目な息子も可愛がった。
つまり大器晩成と言う。
その名の如く竜や馬のように世間を飛び回り多くの文物に触れ良く見聞きし分かり、そして感心した。
幕末維新の名人物に多く触れ合い時として敵であるにも関わらず、その話を聞きそのばで弟子入りするほど人の話をよく聞く男だ。
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人の話をよく聞いた。勝海舟を切りに行きその場で弟子入りした
司馬さんは夢で「司馬さんよ!いい加減にしちょっう!」と何度も言われたに違いない。
そう言われれば言われるほど司馬さんの筆が進む。司馬さんは夢で龍馬と約束をした。
「テレビジョンにわしは出たくなかよ!」だから司馬さんが死ぬまで「龍馬がゆく」は映像化されなかった。
数多のファンは龍馬の名前が教科書から消えてもそれは龍馬が望むことだと思ってくれる。
それは龍馬が日本の未来の陽の部分を生み出す種を沢山蒔いて来たことにある。
現代にその人柄と人間性を龍馬の死後も伝え続け日本人の大切な精神世界の中に生き続けている。
不思議な男である。尊皇攘夷を気取りながら幕府軍艦奉行、勝の元に赴き、切ると言いながら本心は軍艦や砲術に興味津々なのだ。
切りに来た男を弟子にする勝も大人物である。軍艦奉行でありながら舟に乗っても極度の船酔いで身動き出来なくなる。
だからこそ龍馬と勝は気があった。
何故、龍馬の名を教科書から消すのだろう
ただ暗記するだけの日本史の教科書ではいけない、歴史の中の流れや因果関係を勉強させるのが本意だから無駄な名前は無くす。
暗記の日本史から面白い日本史にしたい。
戦後の教科書にはその名がなかったから司馬さんの「龍馬がゆく」その小説から教科書にその名が載るようになった。
から削除する対象としてその候補に挙げられている。
「消したければ消せば良い。」これは私の思い出ある。
そしてある日、その間違いに気が付けば直せば良い。
間違いは誰にもある。
これが龍馬の残した最も大切な日本人の文化であり、道徳であり、それで誰かが死ぬ訳ではない。
龍馬の名前や松蔭の名を消すことにご立腹なさっている先生方も多い。
日本国の存在にとって意味のない名前は沢山ある。
武田信玄、上杉謙信こそ地方の一武将に過ぎない。
その価値は低い。
簡単に言えば以上のようなお話しが成されているそうだ。
龍馬の言葉
『世の人は我を何と言わば言え、我が成す事は我のみぞ知る』
『事は十中八九まで自らこれを行い、残り、一、二を他に譲りて功をなさむべし』
龍馬の言葉が全てを語っている。教科書に載るか載らないかは好きにしてくれ。
犬猿の仲だった薩摩藩と長州藩を仲直りさせた。
土佐の後藤象二郎を介して主君山内容堂を納得させ容堂に慶喜を説得させた。
そして大政奉還となった。
その後の国の進むべき方向性を全て整えて最後の晴れ舞台を多の者に預けて次のことをなさんと思案している隙に暗殺された。
龍馬亡き後の海援隊を三菱グループに育てたのは岩崎弥太郎だ。
龍馬は好いてはいなかったが適任と思っていたのだろう。
正装を着飾り花舞台に立つことを最も嫌った。着慣れた着物を着て、好きなように生きている。
それが一番好きなんだ。死んだ後のことなどどうでも良い。
龍馬は明治維新後、戦前を通じ、快男児から守り神へと変貌していった。
それほどの名声を欲しいままにしていたのだ。
この辺りで少し休憩をして頂くのも良いかもしれない。
この国の為にはならないが