幕末志士

高杉晋作の奇兵隊下関に産声を上げる

投稿日:2018年3月12日 更新日:



長州藩は窮地になると晋作に頼る。

何故、松蔭を生かし利用しなかったのか。

久坂は何故、蛤御門で切腹する必要があったのか。

そして俺に何で無理難題を押しつけるのか。

今こそ、亡き師匠、親友、そして数多の今は亡き尊攘派の思いを思い知れ。

 

 

動けば雷電の如く発すれば風雨の如し 伊藤博文

 

4カ国連合艦隊との講和会議

 

たった24歳である。伊藤博文が通訳をする。

二人とも松蔭の弟子なのである。

連合軍は数多の要求と「彦島の租借」を要求して来た。

晋作はほとんどの要求を受け入れたが「彦島の租借」については頑として受け入れなかった。

結局、「彦島の租借」については取り下げられた。

 

古事記を暗唱して有耶無耶にしてしまった。

「領土の期限付租借」は植民地化と見抜いていたからだ。

この時、もし連合国側の「彦島の租借」を受け入れていたら日本の歴史は大きく変わったと博文は言う。

 

交渉の結果を藩世子・毛利元徳へ経過報告を行った際に、尊攘派の暗殺計画を知り、高杉と伊藤は行方をくらませた。

そして高杉と伊藤はアーネスト・サトウに天皇と将軍が長州藩宛てに発した「攘夷実施の命令書」の写しを手渡した。

そして各国は賠償金を江戸幕府に要求するようになる。

 

成り行きで活躍しているようであるがそこには徹頭徹尾考え抜かれたストーリーがあった。

 

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第一次長州征伐

 

蛤御門の変等、朝廷内に砲撃してしまったことなどで孝明天皇は長州伐令を出した。

しかし、西国諸藩は乗り気せず、戦費の負担を嫌った。

幕府軍総督の前尾張藩主徳川義勝もその任を何度も断ったのです。

しかし、全権を任せる条件で引き受け、参謀には薩摩藩西郷隆盛がついた。

 

長州征伐の前に西郷は勝海舟と出会っており、勝から公武合体の限界と雄藩連合による新政権の実現の話を聞かされていた。

一度は長州撃滅を決意した西郷でしたが、勝との会談後、長州藩の処分を軽くし、長州藩温存を意図するようになりました。

相次ぐ敗戦で長州藩は降伏条件を飲み、藩主の謝罪文、3家老の切腹、三条実美らの追放、山口城の破却を受け入れた。

 

※しかし京都では表だって長州贔屓を出来なかったが誰が売り始めたか「長州おはぎ」がよく売れた。

美味しいスィーツを食べこっそり長州藩を応援していたそうです。

長州の侍は金払いが良く好かれていた。

 

第一次長州征伐に当たり、参謀の西郷隆盛が幕府軍艦奉行勝海舟に長州征伐で幕府海軍も出兵するよう要請する為に訪ねた。

 

長州藩内でも意見が分かれましたが最終的に藩論は謝罪恭順で統一されました。

こうして戦火を交えず、第一次長州征伐は終わったのです。

 

そして時代は第二次長州征伐に向かいます。

 

高杉晋作の大切な友人です。玄瑞亡き後の晋作の気持ちを思うと心が痛い。

久坂はどんな人かはここに書きました。

絶体絶命の長州藩を倒幕の推進藩とした奇兵隊の出現

藩上層部が高杉に助けを乞うて生まれたのです。

その奇兵隊についての記事です。

その後、奇兵隊は山縣有朋に引き継がれた。

そんな奇兵隊に関連した人の記事です。

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