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日本ともっと親しくなれない中国

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遣隋使の時代より前から日本人は中国に憧れて来た。

漢字や儒教などの思想も優れたものとして学んで来た。

それが徳川幕府が鎖国を行っていた間にイメージが変わった。

幕末、清国は欧米列強の植民地と成り果てていた。

そこから近代に至まで日本人の中国に対する尊敬の念が消えた。

 

 

永い付き合いなのに理解し合えない

 

日本人は昔から中国を尊敬している

 

日本人が本来使っている文字は平仮名だ。

漢字は日本人が勝手に中国に行って勝手に日本文化の中に取り入れた。

古来より漢字に対して日本人は畏敬の念を持っていた。
四字熟語等とても凄い文字だと思っている。

たった四文字に多くの意味が込められている。

その5000年の歴史に関しても畏敬の気持ちが強い。

日本人は中国から頂戴して来たいろいろなことを非常に大切にして来た。

 

それは尊敬の気持ちが強く滲む。

この思いが維新開国により何だか古来より教えられている中国のイメージが壊れていった。

折しもアヘン戦争等、欧米列強の手中で弄ばれていた。

 

自分たちに高貴な精神や多くの教えを授けて呉れた。

そんな中国(清)を何とかしなければいけない。

それが維新前後、志士の(一部の)心にあった。

 

欧米との関わりも深くありますのでここで全てを語るには中国国土の広さからしても無理がある。

 

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中国人の考え方

 

これも一言で語ることは難しい。

よって知りうる限りのエピソードで説明をしたい。

ここでの説明が当てはまるとは言えない。

 

しかし、なるほどと思えるだろう。

現在の中国指導層の言葉で言えば

『中国人は1000人に1人の天才が存在する。
    しかし、残りの999人は押し並べて教養が無い。』

翻って、

『1人の天才は存在しない。
    しかし、日本人は押し並べて全員が学があり優れている。』

これが彼らの嘆きである。

 

戦後、国交を回復した後

 

これはどう考えれば良いのであろうか?

改革開放政策で深圳を経済特区とし市場経済を導入した。

香港からの経営者が投資をし工場群が出来た。

 

そこに仕事を依頼し訪問した時の話である。

香港人は本土のワーカーを人間として考えていなかった。

所謂、異質な生物と見ているのである。

 

四川省よりヒッチハイクと徒歩で3ヶ月掛けて中学を卒業したばかりの子供らが深圳に職を求めて来ている。

そのような事情も加味して下さい。

明治時代において漢学から支那学として変遷していった。

 

孔孟、諸葛孔明、李杜韓白、等を通じて『聖人の国』として崇拝していた日本人の支那観が次第に蔑視化されていった。

遣隋使、遣唐使等を通じ大陸の文化文明に畏敬の念は巨大でそびえ立つ権威が崩れ落ちていくように思えたのであろう。

 

深く交流することでお互いに称え合うことが出来る

 

欧米列強に対して為す術のなかった中国だった。

日本は日清戦争で勝利し日露戦争でも勝利した。

それは所謂、局地戦での勝利で全面戦争の勝利ではなかった。

 

そのような戦いの中で戦国時代から日本人は敗戦は負けた者達が自ら死を選ぶものであった。

しかし、潔さのない者達を侮蔑し殺戮したとしたらそれは人類史上で言えば単なる虐殺者だ。

そこには正義もなければルールもない。

 

そこにあったのは考え方の違いという馬鹿げた不勉強だ。

南京事件を明らかにしその経緯を明かすべきだ。

その事件を国際交渉に持ち出すことは話の矛先が違う。

 

大戦後、毛沢東が武器を購入する為に3000万人以上を

餓死させた事実はベールに覆われている。

 

歴史という立場が変われば見方も変わる話題

 

歴史は一度の事実だ。それをどう考えるかは後世の人々に与えられた特権である。

結果的に現代において中日の交流は上手く行っていると思う。

大きな国であるそれを十羽一絡げで考えるのもおかしい。

 

ロシアや朝鮮半島が絡んでくる。

望むことを述べればお互いに相互に依存し合いフェアーな競争の上に立ち

二一世紀もその初期の段階でシェイクハンドして共存してい行くべきだ。

 

悪しき歴史を未来志向で考えて行って欲しい。

 

 

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