きんとうん

2018年日本国内での災害が多発した



 

一つ災害が発生し、

その報道がピークになる前に

また何処かで災害が発生した。

 

ある意味、町中に設置された

CCDカメラの多さとスマホの普及が

詳細な災害の報道動画を供給している為なのか。

 

関西空港の台風被害がどうなるのか?と思い浮かべているとその明け方に北海道で地震が発生している

台風で自動車があたかもゴミのように風に舞っている光景

飛行機に給油する燃料を積んだタンカーが

空港にアクセスする橋を使い物にならないまでに痛めつけた。

 

仙台空港に津波が押し寄せた記憶が蘇る

過去の歴史から推察される災害に

どうして備えることが出来ないのであろうか。

今夏は過去にない異常な暑さであった。

 

そして日中暑いのは当たり前で

夕立があって均衡を保つのが夏の気候だ。

それがなかった。

 

個人的な見解であるが

天気予報士より災害予報士の

育成が喫緊の課題であると思う。

 

それに引き換え国の災害対策を

想定し、100年200年以上のスパンで

税金を投入したり

 

ある企業に対する優遇を行う

指導的立場の人材が枯渇している。

電力事業は正に国の将来を左右する。

 

北海道と言ういわゆる計画的な

都市開発が出来る、そんな地域である。

どうして全地域で停電となってしまうのか?

 

どうして飛行機の燃料を運搬するタンカーが

その動脈をズタズタにしてしまうのか?

優れた人材不足、何年もかけ現地を観察する。

 

そんな立案者がいないのではないか。

机上で計算しても正確な答えは出ない。

非常に大きな国家事業とも言える計画に

 

現場での空気感や高齢者の話など

机上では得られない貴重な情報を

収集して大きな決断をしなければならない。

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たくさんの人々の為に自らの命を省みない精神がなくてはならない

僕はグスコーブドリの伝記を読んでいたから

グスコードブリの家族が辿った悲しい半生を

多くの家族に同じ道を辿って欲しくないから

 

ブドリが自ら進んでカルボナーラ火山島に残り

たくさんのブドリのお父さんやお母さんは、

たくさんのブドリやネリといっしょに、

 

その冬を暖(あたた)かいたべものと、

明るい薪(まき)で楽しく暮(くら)す

ことができたのでした。

僕はそして山に登ってばかりいたので

水力発電所や火力発電所に1年中寝泊まりし

多くの人々の生活を笑顔が溢れる家族に

 

そう思って”電源開発”に就職したいと思ったのです。

そこが安定していて所得も多いなどとは

全く考えていませんでした。

 

ただただ山の奥地で人里離れた場所で

褒められもせず苦にもせず黙々と

働きたいと思ったからです。

 

そんな思いとは違う会社であったわけです。

ハッキリ申し上げれば間抜けが考えた誤った

電源開発の将来像を描いてきたわけですから。

 

J Power  は原子力発電所に莫大な税金を投入し、その事業が虚構の論理の元に行われてきたことに命懸けで反対した者はいない

 

誰も責任を取るものがいない。

確かに函館近郊に石炭火力発電所を造る計画はあるようだ。

石炭は燃焼時、二酸化炭素の発生が少ない。

 

今は使われない石炭を燃料にする案は相当点数は高い。

そんな思考が何故なかったのか?

今まで行われてきた原子力発電事業は

 

あたかも100,000万年後に人類は存在しないと

判断したのだろうか?

それとも見切り発車で唯一の原爆被爆国として

 

原子力と対峙するつもりでいたのだろうか。

人類はその歴史で数え切れない過ちを繰り返している。

人は食物連鎖の頂点に立ち

 

科学の大いなる発展はどんな困難も克服するだろう。

もし食物連鎖の頂点に立っていると思っているとしたら

一番の土台が崩れれば全てが終わることを忘れてはいけない。

 

二酸化炭素による温暖化が発展し続ける人類像を破滅に向かう姿として捉えている

 

これは象徴的な事象として二酸化炭素温暖化説と捉えている。

そのことがそれら以外の災害源であるかのような考察。

日本の江戸時代が循環型社会としてシュリーマンさえ

 

羨ましく思ったそうである。

当時の欧州社会は周囲の河川で汚水が垂れ流しになっており

耐えがたい悪臭を放っていた。

 

しかし江戸ではその糞尿が売買されていたり

また畑の肥料として使われていた。

これは強引な経済発展の末路と

 

自然と折り合いを付けた普通の社会である。

つまり自然と折り合いを付けた人間社会こそが

向かうべき姿なんだと思う。

 

日本中、人が暮らす場所ではアスファルトが敷き詰められていて

気温が上昇するのは当たり前だ。

現在、発生している災害は人が築いた構造物への報復でもある。

 

このように思いを巡らせれば符合する事が多い。

勇気ある決断、勇気ある撤退、勇気ある献身の心。

特に今年の災害で亡くなられた方々や

 

罹災して苦渋の生活を強いられている皆様には

心より哀悼の誠を捧げさせて下さい。

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