当時、諸藩の若者はこぞって江戸留学をする。
剣術にて名を馳せるのが出世の必要条件だ。
現在で言えば東大、早稲田、慶応に入学することである。
そして首席で名を全国に売る。
150年前、志士と呼ばれたもの達がいる。
今もその名は人々の脳裏にある。
それは…
日本一の剣術士は誰だ
剣術に打ち込めば幼い頃からの劣等感はない
二十四才。
龍馬はひたすら剣術にはげんでいる。
剣が面白い。
江戸の三大道場と言えば
神田お玉ケ池・桶町の千葉道場 塾頭 坂本龍馬
麹町の神道無念流の齋藤弥九郎道場 塾頭 桂小五郎
京橋アサリ川岸の桃井春蔵道場 塾頭 武市半平太
それぞれの千数百人規模の剣術書生を抱えていた。
土佐藩主山内容堂が安政諸流試合を催した。
位は桃井
技は千葉
力は齋藤と言われた。
決勝戦は桂小五郎と龍馬が勝ち残り
決戦を行った。
六尺の間合いをとり、小五郎は中段
龍馬は片手上段
わざと負けるつもりか?
半平太は不安を抱いた。
小五郎の剣は人柄が出る。
隅々まで理屈が通っている。
その大小の理を俊足で変化させる。
理からはみだすようなことをしない。
龍馬の胴は馬鹿空けである。
どういう料簡か、小五郎に疑念が生じた。
一歩二歩進み龍馬の馬鹿胴はいよいよ打てとばかりにしまりを失っている。
撃つか
小五郎の一瞬の躊躇を龍馬は据えものを撃つようにぴしりと面を打った。
「面あり、」
その後、激しい打ち合いの末、小五郎は龍馬の胴を撃った。
三本目。
龍馬の剣が何をどう動くのか小五郎には見えない。
見物席の誰もが萎縮している。
龍馬の中段の構えに小五郎の攻勢がじりじりと龍馬を追い詰めている。
誰も気が付いていない。
龍馬が考え抜いた戦略を
気が付けば道場のハメ板まで押しつけられたその刹那、龍馬はその竹刀を上段に跳ね上げた。
小五郎はたかをくくった。
(そらそら小五郎め誤っちょる)
小五郎は龍馬に仕掛けた弾みに目測を誤った。
そこに一瞬隙が出た。
龍馬のでっかい鉄砲突きが決まった。
小五郎は面を半ば脱落させ大きく跳ね飛ばされた。
同じ土佐藩の兄のような武市半平太は類のない一本とその情景を絵にして故郷の父に送っている。
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人を見抜き、その心を動かす
剣は言わば剣士の心の読み合い化かし合いだ。
勝つために奇襲攻撃もする。
龍馬には人を溶かす独特の何かがある。
この諸流試合の時、龍馬は成すべき事を気付かず剣術に熱心だった。
それに引き換え、既に武市半平太、桂小五郎は勤皇攘夷にその行動に動いていた。
もし、当時の三大道場がなければ日本の方向性は大きく変わっていた。
そんな江戸で自分がどうやって生きて行くのか思案していた。
既に藩から許された江戸遊学の期間が終わろうとしている。
私見として述べれば尊皇攘夷等の思想に早くに染まらずに良かったと思う。
強いて言えば龍馬は人を切れない。
人を切ることよりも人を活かすことを考える。
日本一の剣術使いになったけれども本物の剣術使いにはなり切れない龍馬がいる。
かと言って嫁を貰って子を育て土佐で道場をやるのもつまらない。
背が高く、金持ちで、日本一の剣術使いである
女が龍馬を放っておく訳がない。
しかし、現実として大公儀が存在し身分の違いも面白くは無い。
土佐藩や他藩の同じ若者達はそのほとんどが維新回天の捨て駒となり死んで行く。
龍馬はどう生きるべきか?
もっぱらそのことで頭を痛めている。
女性が嫌いなわけではない。
龍馬には家族を持つことより何かしなければならないことがある。
国許では秀才が江戸留学に向かえば武市半平太を目標に
出来の悪いものは坂本龍馬を目標にするようどの家も子弟に言い聞かせた。
残念ながら明治まで生き抜いたのは桂小五郎だけである。
さて龍馬はその人生の舵をどう切るのであろうか?