東京がこんなにビルだらけになる前
真冬の晴れ渡った日には
都心からも丹沢から秩父と続く
素晴らしいパノラマを臨むことができた。
そこに行ってみたいと思うのは
当たり前の気持ちではないでしょうか。
水清く、山々が急峻なこの国では四季の変化に富んだ素晴らしい自然が満ち溢れている
重たく慣れない登山靴に
苦しみながらやっとの思いで
山道を辿っているのである。
肩に食い込むザックの重みで
既にこんな馬鹿げたことから
逃げ出したい気持ちでいっぱいだ。
五体を巡る苦しみも、その高みに立ったとき、何処かに消え失せてしまっている
登り始めから山巓に着くまでは本当に辛い。
せめて森林限界を超えたときに心なしか
やっとここまで来たな、登るべき山巓と
晴れ渡った空、そして足元だけ見てきて
やっと顔を上げて訪れたかった峰々を
しっかりと確かめることが出来るわけだ。
体力や山道を歩くコツを覚えてくるまで
それは本当に辛い登高であり容赦ない。
”ななかまど”や”だけかんば”などと楽しむ余裕はない。
”だけかんば”
”ななかまど”
新田次郎氏の小説を一生懸命に読んだ。
ガストン・レビュファの写真集は
更なる高みへの欲求を誘った。
それでも山岳部での1年が過ぎ、
高校2年生になると重い荷物も
樹林帯での胸までのラッセルも
気にもせず山々の奥深くに存在し
それを楽しんでいる自分がいた。
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17人いた同期も、気が付けば2人だけになり、それでも何が良いのか1年先輩3人といつも一緒にいた
事故を起こすとか、遭難するとか
そんなことは自分たちには無縁であった。
1年間の厳しい訓練が体力、技量を生み出した。
毎日、NHKの気象通報を聞きながら
白い日本列島に等圧線を描いて行く。
冬山へ行く前は過去の天気図をチェックする。
その山域での最悪の等圧線配置図を
何パターンか頭に入れるわけである。
どんな状況下に置かれようと事故は
決して高校山岳部には許されない。
たった一人の事故で部は消滅する。
そんな思いをしながらも登るわけである。
何故山に登るかって、馬鹿なことを聞くなよ、僕らは楽しく遊びに行くんだぜ
登山界を悲壮な世界からゲームにしたのは
ラインホルト・メスナー氏である。
日本では第2次RCCのメンバーたちではないかと思う。
しかし、無名ながら、その上を行く怪物が沢山登場していた。
ダグスコットが両足のくるぶしを骨折し、膝を使って下山した。
それが英雄視されたことに笑って文句を言ったヤツがいた。
両足を複雑骨折して1週間かけ、はって帰ったヤツがいた。
それも単独行で凍った滝を登って落ちたらしい。
確かに装備が良くなり、怪物が沢山現れた。
現在、登山という行為はゲームであり、
自然を楽しむスポーツである。
一の倉沢で遭難して陰気な雰囲気はもう失われてっしまった。