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司馬遼太郎氏の『竜馬がゆく』を人生で7回も読み返した。

このブログで情報を正確にするため

読みはじめたら、ついつい単行本8冊を

読んでしまった。

 

どこにそんな魅力があるのだろう。

日本人を夢中にさせる魅力は何か?

 

暗記する日本史から因果関係を明確にする日本史へ変化させるのに何故、龍馬は教科書から消える?

答えは簡単だ。

坂本龍馬は日本国民のほぼすべての人が周知の実存した巨人

今更、教科書で教えなくとも誰も詳しく知っている。

と思っていてくれているのだろう。

大学受験と坂本龍馬はべつもの でも もしかすると❝高大連携歴史教育者研究会❞の面々は❝竜馬がゆく❞を読んでないかも

西国強藩は英国とつるんでいた。

幕府は仏国とつるんでいた。

西洋列強の思惑は戦いになって国内が疲弊した隙に植民地にしちゃおうである。

 

尊王か佐幕かで頭の中が汲々で”戦あるのみ”と考えているバカ侍

そんな連中を馬鹿にすることなくおだてあげ戦いを避けさせた。

英仏を利用し”万国公法”で理論武装を急がせた。

 

もしは歴史なので仮定で言えば慶喜公のお達しが2日早く強い指示であったならば

「土州の坂本龍馬に手を出すな」

新選組近藤勇も斬首刑にはならなかった。

 

竜馬は日本国内の無駄な殺し合いを出来る限り阻止して来た。

薩長同盟を納得させ土佐藩を動かし慶喜公へ”大政奉還”を決意させた。

無用な血を流さず、世界の時流を読み、日本国の未来の方向性を示唆した。

 

龍馬が暗殺されなければ鳥羽伏見の戦いなど維新後の殺し合いはなかったであろう。

大政奉還後の日本の政体を構想し龍馬案が暗黙の裡に履行された。

大政奉還後の政体の人事まで構想を書き記した。

その中に一番の功労者である自分がいない。

日本国のことを思い、そして自分の夢と理想を実現するためのプロセスとして

新しい時代を産み落としていった。

 

「アメリカの大統領は下女の給金の心配までする。」

これが口癖だった。

 

教科書に載ろうが載るまいがそんなことは貴君の好きにしたまへ

 

司馬さんには竜馬亡き後の推移を書いて欲しかった。

竜馬亡き後をどう進むかに重要な歴史が潜んでいる。

龍馬は自分を亡き者にしようとする人々との戦いも避けて来た。

 

強いて言えば司馬遼太郎氏が”竜馬がゆく”を描いたことで

戦後、平和国家の国民にとって大切な人生訓・処世訓・人間観になっている。

龍馬と言う名が出てこなくとも龍馬が残した数々の言葉が語り継がれている。

 

紛らわしいですが”龍馬”は公人としての名前で使い

”竜馬”は司馬さんが描いた坂本を指している。

 

龍馬が生まれ育った土佐と言う環境と西国でありながら山内家と言う譜代大名郷士と言う立場

簡単に言えば”士農工商”と言う序列『身分階級』

薩摩長州は外様、土佐は長宗我部氏の領土に関ヶ原後、山内氏が家康に与えられた。

その長宗我部氏の流れを持つ商家で金があって郷士と言う武士階級(最下級)を買った坂本家。

 

そのような生まれながらの環境が竜馬を生んだ。

また明智光秀の家紋と同じ桔梗である。

山内容堂ではないが“鯨海酔候”と柳ジョージさんが唄ったように

 

太平洋に面し、大いに理想を掲げる國である。

ジョン万次郎を聴取した際の『漂巽記略』を編んだ河田昇龍から

国際情勢を学び、河田より海運の重要性を説かれた。

そこに剣術が加わり、熟成された。

 

日本一の剣術使いが人を切らず多くの偏向思想を持った人々から

その意見や考えを学び柔軟に知識や世界観を築き上げていった。

強いて言えば勝海舟を暗殺しに行き、その場で弟子になる発想は当時の侍には出来ない。

 

竜馬が生きていたならば戊辰戦争も防げたであろうし

白虎隊の悲劇もなかったであろう。

歴史は今少し龍馬に活躍の場を与えて欲しかった。

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