どんどん強くなる。
だから剣術が面白い。
剣術の世界にいれば一番だ。
しかし
安政5年、江戸の正月 龍馬は24才になっていた。
和親条約の後、通商条約をハリスが強硬に幕府に望んだ
江戸は静かで穏やかな正月だ
既に龍馬も武市半平太も故郷の土佐でその名はお国の隅々にまで知れ渡っていた。
龍馬はその年の秋には遊学期間が終わる。
土佐に帰らねばならない。
千葉重太郎は寂しく思っている。
ぶらっと半平太が龍馬に会いに来る。
どちらも江戸三大道場の塾頭だ。
こんなに頼もしい友人はなかなかいない。
重太郎はもっとずっと龍馬が江戸にいて欲しい。
それは自分だけで無くさな子のことを思えば龍馬を手元から手放したくない。
しかし、公儀も朝廷も、そして攘夷論の論客も後に引けない状況になって来ている。
外国からの圧力が強くなって来ている。
和親条約だけでなく通商条約を求めて来ているのだ。
諸藩はこぞって江戸に剣術と勉学の修行に若者を送り込んでいる。
土佐藩の藩邸も手狭になり増築をしていた。
そして特に土佐藩長州藩が人数を多く送り込んでいる。
半平太が龍馬を教育しようとしている。
彦根藩(譜代大名)井伊直弼は妾の子を含め14男であった。
運が良いのか悪いのか兄達が次々と病死してしまった。
それが運が悪いか良いかは解らぬが藩主になってしまった。
彦根藩は順番として大老(老中)として幕府の施政にあたる。
その位は、今で言えば内閣総理大臣に当たる。
性格は傲岸不屈であり無識にして強暴と識者の間では評判であった。
そんな話を聞いている龍馬は面白くてしょうがない。
武市にしても尊王攘夷論を語るもの達は幕府の事情や外国からの圧力をよく知っている。
外国の強硬な開国要求、通商条約を求めている
米国はハリスが通商条約を求めて来ている。
直接将軍に会い米国大統領の国書を渡したい。
しかし異人を将軍に合わせるわけにはいかない。
また朝廷に了承を得ず勝手に通商条約を結ぶわけにも行かない。
しかしハリスは幕府が結論を出せなければ朝廷に行って直接話すと言う。
その強引さで遂に通商条約の逐条協議を開始した。
この正月12日に議定が終わり、残るは勅許だけと成った。
しかし当時の孝明天皇は病的なほどに白人を嫌っていて外国人恐怖症だった。
朝廷にしても300年以上も政治から離れていた。
そして海外の知識も皆無に等しい。
そこにまた諸国から登って来た浪人、儒者など極端な攘夷論者が取り巻いていた。
そしてことにつけて公卿を教育している。
よって京都論壇は極端な鎖国攘夷論である。
幕府の要請に対し『勅許』を受け入れることはとても考えられない状況であった。
直弼はそれでは勅許を待たずに条約を結ぼうと意図した。
その為には勤王、攘夷論者を排除せざるを得ない。
随分詳しく知っているのう
龍馬は半平太の話を聞きながら面白くて仕方がない。
そして、幕府はここに現れる浪人論客を大弾圧せざるを得なく成っている。
こんな事情など龍馬は全く知らなかったものだから半平太の話が相当に愉快であったようだ。
だがここから血なまぐさい殺戮の時代へと風雲急を告げ回転していく。
しかし、既に8月、もう龍馬は国元に帰らなければならない。
井伊は勅許を得ずに条約を強行しようとした。
ここで尊王攘夷論が猛然と燃え上がることになる。
水戸斉昭は尊皇派の総本山のような家である。
その子分的な大名が越前の松平春獄、薩摩の島津斉彬、土佐の山内豊信である。
半平太は春獄の秘書役橋本左内から逐一正解の話を聞いている。
詳しいわけである。
その話が面白いのも今目の前で会うことも出来ない殿様のことだから尚更面白い。
そして、龍馬の大人への移行期間が始まるのである。