いつも当たり前のように存在していた。
人生のそれぞれのステージでその声、
その姿を目にして来た。
特に『ブルースカイブルー』は傷付いた
若き日に心に残った曲だ。
野口五郎・郷ひろみ・西城秀樹、山口百恵・森昌子・桜田淳子と言う時代
日本の歌謡界を牽引した世代
年齢としては山口百恵さんと同じである。(筆者は)
高校1年生の時、日暮里駅から山手線に目の前に百恵さんがいた。
ただ当時はテレビを見る時間はほとんど無く山ばかり登っていた。
あまりにも正統派過ぎるためか西城秀樹氏には興味が無かった。
真夏が過ぎ去り、晴れやかな抜けるような青い空の下で
若き日々、成就できない恋に共感した。
ブルースカイブルー
若きウェルテルの悩み、ああロッテ
今で言えば63歳は本当に若すぎる。
あんまり我慢してはいけない脳溢血等血管に係わることは早め早めの治療が大切
敬愛する取引先の会長がやはり体の右側が麻痺してしまった。
前夜、お子さんやお孫さんを招いて食事会をした。
そしてその日は会長宅に家族全員が泊まった。
夜中に体の不具合に気づいたのだが
子供達に気を使い朝まで我慢してしまった。
しかしながら早朝、息子さんが気が付いた。
直ぐに救急車を呼び緊急入院する。
しかし数時間も血液が通わなくなった部位は
麻痺してしまうし元に戻ることもない。
おかしいな?と思った時に救急車を呼べば
麻痺は残らなかったと医師は言うらしい。
筆者は早くからコレステロール値と高脂血症血が高く
高円宮様のようにスカッシュしている最中に倒れ
二度と蘇生しなくなる可能性は1/100と医師から言われ
薬を服用している。
むしろ死んでしまえばそれで済むが麻痺が残って
命も引き続き残っても思うように体が動かなければ
かえって辛いものだ。
話は余談だが松本勤務で塩尻にいた時、西城秀樹のビッグなファンがいた
塩尻のこんなところでスナックをやっていて商売になるのか?
そんな場所でカラオケスナックを運営している人がいた。
ちょっと太り気味であるがオカマである。
それが異常を超えた”西城秀樹”のファンなのだ。
当時、薬師丸ひろ子さんが13歳で写真集を出していた。
当時の営業所で1年上の先輩と行動を共にしていた。
その先輩が薬師丸ひろ子の写真集を買って大切にいしていた。
カラオケスナックの店主もその先輩も異常に思えたのだが
その思いは切実であった。
午前零時になると店は終わる。
当時はカラオケが流行、その絶頂期へ向かっていた。
営業時間内にブルースカイブルー等、秀樹の歌を歌った為に
営業終了後も返して貰えない。
他の客が帰ると大きなラジカセを持ち出し
西城秀樹の曲を永遠と流すのだ。
そして結局、その西城秀樹鑑賞会が朝まで続く。
今思えばこんなに人を魅了した
西城秀樹氏の偉大さを強く感じる。
何となく『YMCA』を歌い始めてから
教科書的な存在になってしまった気がする。
確かに各テレビ局は西城秀樹氏の元気な頃の映像を流して欲しい。
病状が明確に分かる映像を流して何になるのか
報道の自由に故人の名誉を著しく既存する権利はない。
むしろ国民栄誉賞をと思う。
一時代を築きあげてきた西条秀樹氏に
心からの冥福を祈りたいと思います。