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維新回天

日本と言うより大公儀が正確な名称である。

300年近くに及ぶ徳川の治世であった。

関ヶ原で勝ち負けが決まりその結果で

身分の違いが静かに人々の心を蝕んでいった。

完璧に思えた徳川の治世は憎しみを300年かけ

増幅していった。

 

 

その顕著な事実は土佐藩に於いて露見していった。

 

ドラマチィックな権力の移行などあるはずが無い。

 

土佐藩は関ヶ原で西軍となった長曾我部氏が統治していた。

徳川についた山内一豊が土佐を与えられ藩を山内氏が治めた。

外様の武士と譜代の武士が共存した。

 

しばらく諍いを起こしたのだ。

 

他藩にない二重構造が300年近く続けられた。

山内氏の武士を上士、長曾我部の武士を郷士と言う。

その特異な身分構造が龍馬を産み落とした。

 

 

 

 

維新回天は権力構造の逆転現象

 

 

土佐勤王党が結成された時

構成員のほとんどが郷士である。

 

「龍馬、わしは役立たずな人間じゃ。しかし命だけは要らん。

人間一匹の命、ぜひとも入るときは、わしを使うてくだされ」

どれほど貧しくつらい暮らしをさせられているかがわかる。

 

市中を歩いていると郷士のもの達が龍馬に声をかける。

「坂本さん、頼みますぞ」

1日何人の会う。

 

その中で明治まで生き残ったものは何人いたか。

 

薩摩藩・長州藩は外様大名である

 

薩摩、長州、土佐(郷士)の大公儀の転覆事件だ。

しかし誰も大公儀を壊滅出来るとは思っていなかった。

 

大老井伊直弼が、水戸、薩摩の憂国の烈士によって殺害された。

日本史上最も強固で強健な幕府の台番頭がである。

三十五万石の格式による行列を組んでいたはず、

 

それが堂々と千代田場の門外で切られた。

龍馬だけではない。

生涯でたったの一度、血が逆流した。

 

郷士の血がわいた瞬間だ。

「世間がひっくり返る!」

これから先、幕閣、諸藩班長の要人がバタバタと切られいていくだろう。

 

桜田門外ノ変は大公儀をひっくり返すほどの衝撃を与えた。

草莽の本気が出来ないことを行ってしまった。

土佐の貧乏郷士にとってそのまま切られても構わないほどに痛烈だった。

 

関ヶ原、その時から、

代々続く恨みや惨めな身分をぶっ壊せるなら命も要らない。

出来れば土佐藩も全藩揃って倒幕に進めたい。

 

直弼に隠居させられた山内容堂も喜んでいることだろう。

容堂は水戸徳川から将軍の世子を出す工作をしていたために

水戸嫌いの直弼に藩政から手を引かされた。

 

万里の長城もその一部が破壊され総崩れになった。

桜田門外ノ変はその長城の一角を破壊した数倍ものインパクトを

大公儀(日本)に与えたのだ。

 

その事件以降、将軍を「大樹」(ダイジュ)と敬称せず、

将軍と呼び捨てた。

 

世界観が変わると言うことは万民の意識が変わること

 

黒船が来た。

和親条約を結んだ。

ハリスから強引に通商条約締結を迫られる。

 

断れない。

朝廷に勅許を言い出せない。

井伊直弼が大老職に就く。

 

安政の大獄

親藩徳川水戸の志士による

直弼の殺害

 

黒船が来た時に欧米諸国に留学生を出し、世界を勉強させていたら。

また違ったのかもしれない。

数限りない烈士の血を大地が飲み込んだ。

 

誰が正義で誰が悪かがわからない。

ただ、大公儀は日本となった。

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