京都所司代に急襲、所司代を斬り捨て
同時に中川宮を奉じ錦旗をあげ
入京中の薩摩藩主実父島津久光を説き
薩摩の兵を味方とし、京都を占拠
天下の勤王諸侯、諸有志に呼びかけ
参軍させ江戸幕府を討って一挙に政権を
朝廷に戻そうという夢のような計画である
寺田屋で京都襲撃の暴動計画
誰も大公儀を討てるとは思いもしなかった。
桜田門外で井伊直弼が殺害されてから2年後
俄かに討幕と言う願望が現実味を帯びて来た。
勤王急進派の長州、薩摩、土佐、浪士団は暴発を競った
薩摩藩士の動きは京都の長州藩激徒を刺激した。
久坂玄瑞は薩摩に遅れてなるものかと
京都藩邸詰め二百余名を密かに武装させていた。
維新の6年前である。
文久2年初夏
天下三百諸侯の九割九分は泰平の眠りの中にある。
京都錦小路薩摩藩邸にいた久光はこのうわさを知り激怒した。
九名の藩士を呼び、わが薩摩のものに即刻、京都藩邸に戻り
予の話を聞けと申し伝えよ。
予がじきじきに慰留する。
「もし聞かざる時は」
「臨機に。」
上位討ち、すなわち、斬る。
「使者には彼らと同士同腹の士を選ぶように」
既に止めることは出来ないことを理解している。
討手は示現流の達人をそろえた。
奈良原喜八郎含む9名。
思想より君命を重しとする薩摩侍たちだ。
そして、日没後、伏見に急行し
夜10時過ぎに寺田屋についた。
急進派は準備を整え出発の準備をしていた。
討手の奈良原は戸外に半数を残し、死を決して土間に走り込んだ。
「宿の者はおるか」
「どなたさまでござりまする。」
「二階に薩摩の有馬新七がおろう。同藩の奈良原が命懸けで談合に来た、と言ってくれんか」
「へへっ」手代は階段をかけあがった。
「なにぃ?奈良原どんが来たと?」
友が友を斬り、時代は拭い切れぬ血に溺れるが如く渦巻いてゆく
全員、気が立っている。
「慰留は無用。追い返せ」
有馬新七は首領株であり、奈良原の親友でもある。
有馬は階下に降りた。
奈良原は、有馬の顔を見て板敷きに手をつき、泣訴した。
出来れば斬りたくはない。
「有馬ぁ、頼む。頼ンもす。君命じゃ。暴発はひとまず留まってくれ。」
「キハチ(奈良原)どん」
有馬は続ける。
「ことはここまで来ておる。俺は武士じゃ。たとえ君命であろうと、留まれない。」
「たとえ、上意討ちにあっても、有馬、苦しゅう無いか」
「ない、」瞬間双方に殺気がみなぎった。
二人は勤王派の同士であり、親友だ。
しかし、薩摩武士は如何なる場合も男としての名誉を守る。
日本の西南端で心胆を練り続けて来た。
討手の奈良原の横にいた道島五郎兵衛が右膝を立てた。
「有馬、おはんら、どうしても君命を聞かんか」
「聞かん」暴発組の田中謙助が言う。
「上意。」
道島は抜き打ちに刀を一閃する。
田中謙助の眉間を斬った。
田中の両眼は飛び出し、そのまま倒れ気絶した。
後に蘇生するも、翌日、京の藩邸で藩命により切腹。
階下に居るのは薩摩の暴発組代表である。
その一人柴山愛次郎は勇気をもって知られた人材だ。
眼を閉じている。
暴発は止められないが、君命には従わなければならない。
ここは斬られるしかないと覚悟を決めた。
「愛二郎どん、覚悟」と討手の金之進が立ち上がった。
「おお、来い」と言ったくせに愛次郎は正座したままである。
左肩から胸まで切り下げられ、次ぎに右肩からみぞおちまで斬り割られた。
正座したまま即死。
首領有馬新七は、豪気であった。
大剣を抜き、道島に斬りかかる。
道島と数合受けつつ、上段からの剣を剣の鍔元で受け止めた。
火が散った。
有馬の剣が折れた。
この時、有馬は異様な行動を取った。
この時代の薩摩侍にならなければ解らない。
有馬は刀を捨てると素早く道島の手元に飛び込んだ。
そして力任せに道島を壁におさえつけた。
「橋口、橋口、橋口」橋口吉之丞は暴発組の同士だ。
「俺ごと刺せ、オイごと刺せ」
押さえつけている道島も、有馬の村有であり同志だ。
武士の死は一人でも敵を殺して最後をかざることが薩摩武士の「教養」と信じている。
「心得もした」
橋口吉乃丞、二十歳。薩摩侍は刀をきらめかせる。
「有馬どん、道島どん、ご無礼」
剣は有馬の背を貫き、道島の胸を刺し抜け壁に抜け刺さった。
階上のもの達が気付いた。
一同、刀、槍を握り立ち上がった。
階下の奈良原は上を見ながら
「わしじゃ、奈良原じゃ。薩摩藩士に言う。みなきいてくれ。久光公は、おぬしらの気持ちはようご存じじゃ。」
「したが、ここはしばらく待って、とおおせある。君命に従うてくれ」
討手大将奈良原、これは男であった。
両刀を投げ捨て、上半身裸になり両手をあげ叫びながら階上に登った。
「このとおり、このとおり」
みな、白刃をもって構えていた。
奈良原喜八郎の狂態を見て、呆然となった。
奈良原はぴたっとすわり両手を合わせ、
「頼む、頼む」
口早に階下での事情を話し、やがてじゅんじゅんと理を説き留まってくれるよう頼んだ。
頼みが聞けなければ俺を斬って行ってくれ。
おはんらを止めに来ると決めた時から命を捨ててきた。
両眼から涙を弾き飛ばしながら説いた。
暴発組の薩摩藩士、浪士団もひとまず鎮まることにした。
希有な出来事である
この騒動の一挙手一投足、万事一通りを解す者が居るだろうか?
もし大公儀に、その旗本や後親藩にこれほどの人材がいたならば
翌日、龍馬は寺田屋に訪れその胸が張り裂ける思いであったであろう。
この地球上で理解出来る民族が他にあろうか。
階下で瀕死の重傷を負った橋口荘助22才は
死の間際に「水、水」と叫んでいた。
奈良原はこれを哀れみ、水を与えてやると、橋口は斬った奈良原を恨まず、
「おいどんな、死にもうしても、オハンらがいもす。生きて生き抜いて、今後の天下のことは頼み申すぞ」
と眼を閉じた。