30年生きていれば何人かはいる。
龍馬の行動範囲は広かった。
その距離感は今と違って容易ならざる距離があった。
神田お玉が池のさな子と土佐のお田鶴さまとの距離は容易に行き来出来るものではない。
中間とは言えないが京都伏見の寺田屋だって随分遠い。
龍馬は自分が何かをしなければ生きていけないおりょうだから養う形になった。
そんなことを考えながら本命は誰だか想像しよう。
物語には女がいなければ物語にならない
お田鶴さまは近い中であったが目上の家柄であった。
龍馬は郷士、お田鶴は上士、当時の土佐藩ではこの身分の違いは手に負えない。
関ヶ原の合戦で確かに戦乱はなくなった。
しかし、身分の違いが明確にされた。
親藩、譜代、外様大名だ。
親藩は徳川家の親戚、譜代は関ヶ原で徳川方に付いた味方、外様は豊臣川に付いた敵方大名である。
土佐藩は外様であり、長曾我部元親が土佐を仕切った。
龍馬の家系は明智光秀滅亡後、左馬の介庶子太郎五郎が土佐に逃れて長岡郡才谷村に住み、長曾我部家の一領具足になった。
そして坂本家は酒造業で材を成し郷士の格を買って郷士になった。
坂本家の紋所は明智の桔梗である。
幼い頃から知ってはいるがあまり嬉しくない存在である。
しかし、美人なのだ。
お田鶴が京都にいた時、恐らく”ねんごろ”になったと思われる。
自然と龍馬は気持ちはあった。
千葉道場のさな子
さな子は龍馬にとって師匠の娘である。
千葉道場で修行中はさな子の兄重太郎と共に兄弟のように日々を過ごした仲だ。
さな子は剣術も強い。
他の弟子達はさな子には勝てない。
ある日、さな子と二人だけで三本勝負を行った。
一本たりとも龍馬には勝てなかったのだ。
この時点でさな子の心は龍馬に夢中になっている。
剣術使いの娘で気が強くても所詮女である。
命短し恋せよ乙女と言うところ。
告白、口説くとは違う意味でさな子は龍馬の嫁になると信じていた。
これは龍馬がずるい。
ずるいという表現は不適切かもしれない。
龍馬は奥手なのだと思う。
龍馬は直ぐ上の姉、乙女(おと)といつも一緒にいたから乙女の存在も大きな影響があった。
龍馬の本命は誰
正確に言えば龍馬は妻帯することを全く意識していなかったと思う。
これから世界を相手に商売をする男が日本に留まっていただろうか?
仮に60歳まで生きていたとしたらプロイセン(ドイツ)に金髪のおなごが現れたであろう。
また、アメリカやイギリスに彼女が出来ていたんじゃないかと思われる。
但し、伊藤博文や木戸孝允のように燕尾服は絶対に着なかっただろうと思う。
ジョン・ウェインでがないがジーンズにカーボーイハット、そしてバンダナが似合いそうだ。
しかしながら現存する写真を見ると私はさな子さんがとびきりのいい女に思えるが
君はどう思う?
※龍馬に恋い焦がれた人は七人いたそうだ。