ホーホケキョ、ホーホケキョ
朝早く、まだ薄暗さが残るのに
何度も何度もホーホケキョ
都心に残る僅かな木立から自然が湧き出ている
ここに暮らして14年が過ぎていった。
最上階からは富士山が見えたのに
相続対策か何かは解らないがビルばかりが
建てられて来た。
ビルが建つことを想定して上野丘陵地から飛鳥山まで続く丘陵地の中腹
荒川区側と比較して80メートルほど高くなっているかもしれない。
その反対側の下り初めの地勢に家を建てた。
そこに決めた理由は近隣周囲に高いビルが建たないこと
朝日が出てから沈むまで常に陽が当ること
ビルが建っても陽に不自由はしない。
まえの道が車1台が充分に通れるが駐車出来ない広さ。
建築が終わってから知らされたことは地盤が固い。
家の片側がお寺の敷地で木立や緑が多い。
1年中ではないが蛇も出て来る。
ハクビシンが喧嘩していたりする。
大きなガマガエルも遊びに来る。
最近、カラスが全くいないのが不思議だ。
それにしてもホトトギスが午前10時頃まで鳴き続けている。
不思議とその鳴き声は不快感がない。
カラスの声なら気持ち良くはない。
「ことしは良いことあるといいね。」家内が言う。
そんなに悪いことばかりではなかったと思う。
しかし思いを巡らせばいろいろあった。
ホトトギスは古くより詩に詠まれなじみ深い
日本では古くより『万葉集』『古今和歌集』『新古今和歌集』に詠まれてきた。
鳴き声がかまびすしくなると同時に橘や卯の花が咲くため
合わせて詠まれることが多い。
どうやらトカゲを食したり爬虫類や虫などを食べる。
鳴き声に似ずとたくましい鳥のようだ。
そしてやはりその鳴き声の心地よさに
多くの文学者に愛された。
この地は夏目漱石を始め維新後の日本文学人が住まいを構えたらしい。
つまり珍しくはない鳥なのだ。
そんなことは気にもしていなかった。
今年は結構、長い期間その声を聞く。
この自然もいつまで残るだろうか
このわずかな自然もいつまで残るか。
それが政治が決める税制や都市計画にかかっている。
税収が不足しているのに相続税対策に何処まで集合住宅を使うのか?
都心の広い道路の周囲はビルだらけだ。
心のバランスに必要な最低限の自然を残して欲しい。
人為的なものと非人為的なものの違い。
50年前は都内でもオタマジャクシがたくさんとれた。
浦安デズニーランドが存在する場所では
ハゼが釣れた潮干狩りも出来た。
確かに川は綺麗になった。
昔、日本の江戸が自然循環都市として栄えたように
戻ることが出来るのでありますか。
ホトトギスの『ホーホケキョ』にふっと失ってはいけないものに
気が付くのは私だけであろうか。