偉大な性格なのか
それとも悲しいサガか
人は飽きる生き物だ。
デジタル機器に飽きてしまったら
次はどうなるのだろう。
これで出来上がり、頂点を極めた。しかし次なる高みを目指すものがいる
いつになってもその先を求める性癖を持つ人間
マッターホルンに憧れてその頂に始めて立った者がいた。
次はアイガー北壁だ。
エベレストに登りたい。
サウスコルから登ってしまえば
今度は南西壁から登ろうとする。
どこまで行ってもきりがない。
7大陸の最高峰を登りつくす。
単独で南極点にたどり着く。
結局きりがない。
スマートフォンがポケベルのような存在になる
たまたまグーグルニュースを読んでいたら
スマートフォンがガラケイのように飽きられてゆくらしい。
それで特別困るわけはないので構わない。
携帯電話がない時代に暮らしていたのだから
確かにポケベルがはやり始めのころも知っている。
どちらかと言えばに逃げ隠れできないので
あまり持ちたいとは思わなかった。
連絡がつかないことが自由で良かった。
デジタル機器の格段の進歩は記憶容量でもなければ
CPUの高速化でもない。
蓄電池技術の恩恵が大きい。
スマートフォンが1日以上も充電しないで使えるのは凄い。
出始めの携帯電話は重くて1通話使えば電池がすぐになくなってしまう。
しかし、もうここまで来たら十分だ。
戦争で使う武器だって原子爆弾、水素爆弾で打ち止めである。
人々は武器を作ることに飽きた。
そして、武器を使わない、作らない、なくしてゆく。
そんな方向性が強烈に語られている。
武器を持って他国を威嚇する国々は極端な後進国だ。
必要もない情報が溢れている。知る必要もない住所録が拡散している。
顧客情報や会員情報が流失して大問題になっている。
ちょっと前までNTTの配る電話帳にみんなのせてあったんだから。
流失も何もあったものではない。
文庫本の大きさもないものに何でもかんでも詰め込みすぎている。
ビル・ゲイツはMS-DOSの成功時、フロッピーディスク1枚に
無限に情報を格納できると言っていた。
本来、それで充分であった。
どこかで飽きる、限界が来る、違った方向性に関心が変わる。
潮時かもしれない。
HP-100LXやHP-200LXで十分すぎる能力を持っていた。
当時、40MBのフラッシュカードが¥60,000-もした。
1990年ころの機械が128KBのフラッシュカードで動かされていたんだ。
だからこれ以上を求めないし
これ以上巨大化するデジタルデータをどうするのか。
人は先の先を見越していろいろ考えるんだが
それが行き過ぎると非常につまらないものになってしまう。
だって原子力発電をやめてソーラー発電に世界中は舵を切っている。
どうやら次々に修正された方向性が導き出されてくる。
スペースインベーダーゲームは凄かったがやはり飽きが来た。
永遠なるものはつまらない。
人は生まれた限りにおいて死を迎えるから日々が楽しいんだ。