実に煩雑な道具である。
人から近づいてやらないとただの有害なゴミ、どこもかしこもホームページだメールアドレスだあたかもそれらが使用できないとこれからの社会では受け入れて貰えないかのような雰囲気もある。
電車に乗ればスマートフォンを一生懸命に指でなぞっている。
20年前であればザウルスやごつい携帯電話を持ち歩いていると間違いなく白い眼で見られた。
『AI』は市民権を得ることが出来るだろうか、所詮、センサーと信号のやり取りで動かしている
産業機械の業界は人手不足も重なって(東京オリンピックがあるから)ロボットを活用することに寛容になってきている。
価格が高くても「零細企業のオーナー」が一旗揚げて一番高い車を持ってこい。
そんな感じも受けなくはない。
しかし現実の産業界では当たり前のようにPLCにティーチングを行いノートパソコンから動作をどうさせるのか入力している。
センサーとサーボモーターにパルス信号をやり取りさせ今までは大変だったこともたやすく出来るようになってきている。
価格もどんどん安価になって来ている。
50年も前に手塚治虫さんは鉄腕アトムを漫画ストリーに書き上げ21世紀はロボットが人以上に行き交う様子を語った
そこで描かれていたロボットはサリーちゃんではないが電子レンジのような箱に今晩の夕食を語りかけるとその食事がちょっとした時間で出来上がり扉を開けて出て来る。
自動車は既に電気自動車ではなく道ではない空間を渋滞もなく飛んでいた。
アトムが10万馬力であった。
ウランちゃんの名前は小さな女の子らしいキュートな名前だと思った。
足の裏からジェットエンジンではないが火を噴き空をも飛べるではないか。
しかしアトムは将棋が強いのだろうか?少なくとも悪役からは子供達を守っていた。
サイボーグ・死ぬことのない体を持ってしまったら、その心は、感情は、悲しみや怒り、笑顔、楽しさを味わうことが出来るのだろうか。
命が生まれ育まれる、そして大人になってゆきながら年老いて死んで行く、それが心を育むんだ
相当に使いやすくはなって来ているんだろう。
二進法で動く機械は産業界で使用され始めてから30年以上過ぎただろう。
それがもっと広く多くの業界で使われるようになった。
そこにはとてつもない矛盾をはらんでいる。
就業できない若者達。
ロボットはスイチを止めれば済む。
人は仕事量が減れば解雇される。
いわゆる自動車の組立ラインで使われる期間工政府がAI化を推し進める事は正しいし、但し、将来を見据えて若者や定年して行くそんな人々に仕事を確保しなければならない。
矛盾する事をどちらも推進しなければならない。
原子力エネルギーは大きな負の遺産となってしまった。
それでもミサイルを作るわけでもないのに60tonものプルトニウムを国内に保管しているわけだ。
福島のことやウランちゃんのことを思うとうつ病にでもなってしまいそうだ。
特に北東アジアはその寒々しい冬景色に似合うように大きな民族間の大問題のマグマが潜んでいる。
もし万が一にも北朝鮮が民主化した際にどんな未来が待ち受けているのだろうか。
20年前、民主化が進めば韓国、日本、北朝鮮と我が世の春を謳歌できたはずであった。