土佐藩の郷士として生まれた。
その経緯は関ヶ原の合戦にまで遡る。
西軍徳川側山内家がその功績により土佐を領地とされた。
もともとは長曾我部家の領土であった。
山内家の侍を上士、長曾我部の家来を郷士と言った。
坂本家は商人の家で郷士と言う身分を買った。
不可解な身分が知らぬ間に立ち塞がっていた
土佐藩と言う社会が下級武士、上級武士を許した
まず第一に龍馬の坂本家は成功した商人の家系から郷士の位を買った。
そして龍馬の生まれる少し前から土佐藩が財源に窮すると金を家老福岡家を通じ工面していた。
すでに本人は意識はしていないのだが上士、土佐藩に一種独特な不快感を持っていた。
しかし、金のことになれば頭は垂れるものの坂本家の方が上であった。
そして、坂本家にはお家を気にする必要がない。
自由に幼少期を過ごし、自由に生きる事が出来た。
不思議ではあるが、その幕藩体制があるが故に自由に好きに生きることが出来た。
上士と郷士の階級はあるがその階級に意味の無さを体験して来た。
心の何処かに階級のない世界に憧れを持っていた。
二百数十年の歳月が幕府も旗本も腑抜けにしていた
威張り腐るだけで何も出来ない幕閣や譜代大名に対して明確ではないが心の何処かで呆れていた。
そんな時代背景も龍馬の存在を必要とした。
関ヶ原以降、親藩、譜代、外様と色分けされていた。
特に土佐藩は譜代大名家でありながら江戸から距離があり周囲には外様大名藩が存在していた。
龍馬の嫁を語れば、もし上士郷士の身分がなければ”お田鶴”が本命であった。
しかし、そんな田舎の土佐では次男三男が生きて行く空間がない。
やはり当時から多くの情報や日本全国から優秀な人材が江戸に集まる。
その江戸で自分に何が出来るかを模索していた。
刀を差し歩く時代の終焉がもう僅かで訪れようとしている。
若者がその名を馳せる為には剣術使いになるのが近道であった
その龍馬の剣術は僅か2年で頂点を極める。
神田お玉が池の千葉道場で既に龍馬を負かせるものはいなくなっていた。
その強さを師匠である千葉貞吉は見抜いていた。
貞吉の長男重太郎もすでに届かない存在になっていた。
但し、龍馬にとってその性格は剣術に強くとも剣術使いとして生きていけるものではない。
誰にもまして”やさしい”のである。
嘉永七年十一月四日、江戸、相模、伊豆、西日本を大きな地震が襲った
その時龍馬は20歳であった。
日一日と大人になって行く。
桂小五郎との出会いが龍馬に中の大きな歯車を付け替えた。
体中の血が騒ぐ。
それでいながら何をするか、それがまだハッキリとしない。
攘夷論や佐幕派が論を吐き散らす世になり始めていた。
但し、この時点で公儀はたやすく倒せるものではなくまだ普遍の存在であった。
その身長や体格、そして剣術の強さが龍馬の名を拡散していった。
加えてその性格も重要なキャラクターでもあったわけだ。
その地震で土佐は壊滅した。
そんな連絡が届いた。
龍馬はいても立っていられず、藩と千葉道場に許しを乞い、土佐に急行した。
久しぶりの土佐は多くの親戚知人が彼を歓待し、離れがたいほどに居心地が良かった。
そして危うくお田鶴様とひとかたならぬ関係になりそうにもなってしまった。
小さき時からの友人達がその危うさを上手くかわしてくれた。
女性(にょしょう)と龍馬のパワー&価値
土佐には女正月という日があった。
この日は女性が勝手が出来ると言えば良いのかちょっとだけ自由が与えられた。
そんな日、突然、お田鶴様が坂本家に一人でやって来た。
父親も兄も驚きながらも龍馬に用事があるとの意向を汲んだ。
そして龍馬の部屋にお田鶴を通した。
そこで龍馬とお田鶴は二人だけで話をする。
龍馬がビックリしたのはお田鶴様の話させ上手である。
ついつい乗せられて話してしまう。
今まで気付かなかった自分をハッキリと言い当てる。
このような女性が嫁ならば男も変わるだろうと思う。
そしてこともあろうに今夜お田鶴の部屋に忍んできて欲しい。
そう約束される。
その夜の出来事
龍馬は夜、家を出た。
お田鶴のところに行く為だ。
そこに顔見知りの馬之介が現れる。
「どちらへ!」「ちょっと夜這いに行く。」
「お徳のところにですか!」
お徳は当時、城下でも有名な美人であった。
お徳に夢中になる若者がたくさんいた。
それが大坂の豪商、鴻池に見初められて近日中に上方にゆく。
先日、鴻池の手代が二百両を支度金として持って来た。
そして父親には堪忍金として八百両を差し出すことになっている。
そのことを若者達は面白くなく思っている。
だれぞお徳を夜這えと言う話になった。
誰が良いか?そこで出て来た名前が龍馬であった。
お徳も龍馬のことは聞き知っていた。
御城下の若者達はお田鶴様と龍馬の密会を防止する。
そしてお徳に龍馬を向かわせた。
龍馬の絶大な魅力
お徳は鴻池に囲われお女中が三人付く程の豪奢な暮らしを送っていた。
しかし鴻池も50代であった為かお徳が言って間もなく亡くなってしまった。
その後、水戸藩士に嫁ぎ、その夫は警察官になった。
そして任地として高知県で早世した。
子が無く、お徳は97歳まで生きた。
晩年は両親の生地、土佐の中村町で一人暮らしていた。
その日の糧にも困る生活を送っていた。
時々、有志に昔話をし、たまたま龍馬のことに及ぶ。
「龍馬さんですか、あれ程男らしい人は見たことがありません。」
と語り急に若やいだと言う。
その話から中村の一条神社の宮司が町中の有志を説き廻りお徳を共同で扶養することになった。
その理由はたった一つ。
「たとえ一夜でも、坂本龍馬が思いをかけた女を捨ててはおけない。」
と言うのであった。
人の巡り合わせとは不思議なものである。
鴻池の豪富をもってしてもお徳の晩年の窮状を救う何のたしにもならなかった。
だが、龍馬に一夜、愛されただけで、余生の最後を安楽に送ることが出来た。
龍馬とはそんな男である。